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 犬は言葉が解らない。

 人間にとって,「言葉」は世界との対応において大切なものです。古代ギリシャのヘレ
ニズムにおいては、言葉を中心に世界はあり、言葉は「原理」「法則」であるとしました。
また、キリスト教の新約聖書では,その最初において「はじめにロコズ(言葉)あり、言葉
は全ての源である。」と伝えています。たしかに言葉は世界を了解する媒体として、人間
だけが持つ特別なものと考えられますが,世界を了解する、そして説明し得る唯一のもの
と見るは大変な誤りです。そうした考えが世界を二分化(人間は特別扱い)して世界と対
                 応する態度となり、勝手な世界を他者に押し付けるのです。

言葉は、もともとロコズ(論理)とパトス(感情)の両面がありました。
言葉はエモーショナルなものとして端的に我々の感情に訴えるのが
本筋であったのに単に意味だけを伝達する概念語、申合わせによる
約束事になってしまった。       ・・・ニーチェの文献学より・・・
  ここで、ニーチェのニヒリストとしての道徳観念の是非を取り扱う気はありません。

言葉は,認知と情動放出の両面において重要な媒体です。認知と情動放出すなわち意
識化は言語化なのです。意識的なことがらは言語化されている。いや、言語により意識化
             されているとも言えます。人間は世界を言葉により了解するのです。
私達人間は言葉により世界と対応して、広く世界を知ることとなり、何時しか、その言葉(ロ
コズ)を世界の中心に置き,全てのものを説明できるものと思うようになりました。その思い
上がりは豊かであった感性を退化することとなったのです。パトス(感情)は未成熟のまま
                        記号化は進み、多くの言葉が作り出されました。
人間の能力は、知恵(知識)と、技量(技術)の動員によるものです。能力の発動は多くの
言葉(ロコズ)を用いてことに当たるものですが、その計画の中心を成す概念も、言葉の媒
体を以って現実(世界)を意識化されたものでもあるのです。こうした能力(ロコズによる)を
大切にしてきた結果、感情をあらわに見せるは無能で理性的な人間ではないと思われ、パ
トスによる言葉は見捨てられ.る事となったのです。人間の良し悪しは,その人のもつ能力
                                  が重視されるようになりました。


 ロコズによる言葉は多くの情報(知識)を獲得します。そうした情報により現実の事態に
対応し、またこれから起こると思われる事態を予測することが出来ます。しかし、現実の
構造への対応であり,「出来事」という偶然性への予知ではないのです。こうした未知な
世界「予知能力」は偶然性のものとして区別され知性的思考の立ち入らぬところとし、こ
     こに立ち入るは、パトス(情緒)の不合理な理解を得ようとするものとしています。
こうした事から、確かな情報の下に予測されたことのみ反応する現代人の感覚がありま
す。その感覚は「危険の予知」への反応がきわめて鈍いともいえます。これから起こる危
険への対応を、知り得た、あまりにも多大な情報で処理せねばならず,その情報過多に
戸惑い対応が遅れるのです。新聞の社会面にしばし登場する事件事故の記事は、注意
予告のあるに関らず、その危険性を理解出来なかったと、知的な指摘はいつもされるの
ですが、現実にはその当事者の危険予知能力の欠如(多大なロコズによる情報過多、
情報重視の片寄った能力)による悲劇なのです。情報の過多は、情報の無視へとなり、
                                     反応の遅れを招くのです。
現実世界は、しばし危険な事態に遭遇します。そうした時、瞬時の感性を持って反応せ
ねば危険は回避できません。都会での危険,田舎での危険、それぞれ、その環境での
対応の体験こそ危険回避の獲得なのです。危険は何故の瞬時の答えを持たぬのです。
  こうした時,パトス(感性)からの伝えは無言の瞬時の行動となり危険に対応します。

今まで述べてきた事は,言葉の持つ二面性、ロコズとパトスについてですが、これから
お話します言葉は,パトス(感性,情緒)です。パトスと犬の関りを「犬と言葉」と題して
                                       これからお話します。

あなたの愛犬は それとも

 犬は30ぐらいの単語を理解できると言われていますが、はたして本当に言葉がわかる
                                            のでしょうか?

私達人間は,言葉という媒体を用いて全てのものを言語化して世界と対応していると
先に述べましたが、犬は体験を通じて世界を了解しているのです。世界との関りで、
 その状況から習得した多くの体験の蓄積は、状況により反応する条件反射として記憶
                                され世界と対応しているのです。
したがって犬が理解しているという言葉は,その音声による響きが過って体験による
 学習から得た行動傾向の反応なのです。言葉の意味には何の関心も無いのですが,
言葉(単に音声)の意図には反応するのです。意味(理屈)には興味は無いが意図(
       感性)することへは、それが頼れる主人なら、即、喜んで反応するのです。

私達人間も犬も,情報の発信,受信の器官を有しています。その感覚器官の優劣は
生態系に深く関ることであり、生存し続ける為のそうした感覚器官は、生物における
                                  明確な特徴でもあります。
人間は,声帯と聴覚での交信、言葉を媒体としての交信をしています。言葉は記号化
が進み視覚をも交えて多くの情報のやり取りをしています。犬は優れた声帯も聴覚も
 有していますが、その情報を直接感性に訴えての交信となります。そして、その優れた
嗅覚は多くの情報を獲得します。人の嗅覚は過っては優れていたのでしょうが今では
すっかり退化してしまったのは、その感覚器官があまりにも原始的で、その情報が、
           直接感性に伝えられる為、嫌われ遠ざけられ退化したのでしょう
嗅覚は直接感性に働きかけ、満足、不満、快、不快、緊張、緩和、興奮、鎮静、等の
即時の反応となるのです。もし人が犬のような優れた嗅覚を持っていたならば我が家
無法者の進入のあったなら、その侵入者が去った後でも、侵入者の匂いが消える
                      までは、恐怖と不安に怯えることになるのです。
人はこうした面倒な嗅覚を退化させ、遠距離感覚器官の視覚,聴覚を
                        第一義感覚器官として進化してきたのです。

愛犬家が,犬は言葉を理解すると信じているのは,犬は人の情緒の動きを敏感に 
感じ取ることが出来,思わぬ行動に感動させられるからなのでしょう。人の言葉を理
解しての行動ではなく、人の心(情緒,感情)の動きを察知して反応したのです。
犬の感性による情報の収集は、嗅覚を第一義としてあらゆる感覚を使って作業は 
きわめて正確で機械的だと言われています。警察犬の訓練は、こうした正確で 
             機械的な感覚器官に働きかけての訓練だと言われています。
こうした優れた感覚器官を有した犬は,使役犬として太古の時代から人間に利用
されて来たのです。そしてあまりにも、その利口(有能)さゆえ人と同じ扱いとなり、
                           言葉も通じるものと思えてくるのです。



 優れた訓練士は、犬への明確な指示の手段を会得しています。いかに犬の感性に
伝えるかの実践を習得しています。犬は犬としての扱いから、犬との対話が成立
  するのです。その対話は人と犬との主従の関係の成立によりはじめられます。
犬に対して人は,短節な言葉(パトス)を用いて、その意図を明確に伝えます。その
言葉は犬の感性に伝えられます。今行われている繰り返しの行動を、学習させる
指示はその行動と一致した明確な言葉でなくては、良き行動傾向,条件反射の
                                  完成とはならぬのです。

犬との感性での対話は、満足,不満,快,不快,緊張、緩和、興奮,鎮静,等から
喜び,悲しみ,怒り,恐れ,等の情緒の動きを実感して進められるのです。優れた
訓練士は犬の動きに対して,こうした感性の呼びかけを、数少なき言葉(短節な
パトス)で多くの行動傾向を作り、行動傾向群の獲得(訓練成果)を得るのです。

犬は言葉が分からない。但し,パトス(感性)から発した言葉には反応します。人間
社会に生存している以上、その環境に順応することは当然のことです。しかし、人 
との長い長い付き合いでも、今だ言葉が分からないのです。では、その家の主人や
                  家族のことは、どの様に理解しているのでしょうか?
人から犬への伝えは、犬の感覚器官に向けて色々な情報がもたらせられます。そう
した情報を理解すべく,その発信者(興味ある対象)を、あらゆる持てる感覚器官を
駆逐して観察します。どんなささいな行動(癖)も見逃しません。発信者の行動傾向
を素早く観察し反応して新たな学習として感性に記憶されます。常に情報を収集し
しているのです。そうした結果、発信者の言葉は分からなくても,おおむね、その 
置かれた状況と発信者の行動傾向の記憶から理解出来るのです。そうしたことから
人の気持ちを先取りしたような事前に行動することがしばしばあります。人の気持ち
が分かる賢い犬と主人を喜ばせたりしますが、そうした行動は、犬勝手な行動なの
             です。訓練士は指示なき行動を訓練中の犬にはさせません。
犬は常に飼い主とその家族観察の行動を、序列(社会的順位)を以って観察し記憶
しています。序列は犬にとって大切な関心事なのです。社会的順位に従うは犬の
大切な習性「劣性は優勢に席を譲る。」の健康な環境が安らかな生活圏を保証する
     のです。社会的順位に従う事により、犬は人と暮らすことが出来たのです。




ソファーの上でのんびりと寝ていた我が家のシロちゃんが、
女主人の「さて!」の小さい声で・・・・・・・・。ここまで話せば
            犬を飼っている方なら、お分かりでしょう。
この「さて!」の反応が面白いから、からかい半分に女主人
(妻)を真似て試してみると、「何の事か」とこちらを見て、ちょい
             と首を傾け、すぐさま元の居眠りである。
妻と犬との対話は、意思の疎通がちぐはぐでも、その生活圏の
中で妻との情緒世界(感性)を通じ行動学習の積み重ねにより
妻とシロとは意思はつながり対話は成立してるかに見えます。

 犬は人間社会に同居する以上、人間社会の環境と法則に従わなくてはなりません。
言葉は人と犬との関係に弊害となるのでしょうか?犬と言葉と題して、言葉と犬の
感覚器官について、お話しましたが、今日、言葉による弊害が人間社会において
 生じています。文明、文化、言語中心の世界、情報の氾濫、言葉の海の中で、感性
までもが普遍的となり無感動な言語世界に埋没してしまうのではないかとの疑問
                    です。そうした一面として起きる事件や事故です。
人は人と接して人を知る時代から、コンピューターによる見えない相手との、情報
          収集。言葉遊び、言葉の作り出した虚像、虚構、孤独な社会生活。
こうした時代ならばこそ、豊かな犬の感性は、人の心に安らぎを与えます。
言葉により傷ついた荒んだ心に、感性からの伝えは、再び健全な言葉を  
                                   取り戻してくれることでしょう。

犬の、しつけ訓練に関るひとは、犬の豊かな感性(しかし大変面倒な)と深く付き
合うことになります。時には犬の不可解な感性に振り回され、情緒不安に落ちいる
こともあるでしょう。ここで今一度思い起こし、犬には言葉(理屈)は通じない、情愛
     豊かなあなたの感性を通じて、厳しく犬の優秀な感覚器官に伝えましょう。
「あなたの主人の指示に従え!」と。

                                             以上。

  追記、映画「犬と私の10の約束。」の感動的なお話から、あなたも、愛犬に10の約束を誓う前に
あなたの愛犬に3っつのお願いをしたら如何でしょうか。1、吠えるな 2、咬むな 3、暴れるな。
                     それを聞き届けてくれたなら、10の約束を守る愛犬家になlりましょう。




       富士山 46a 


  



                                
                                    
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