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  お座りはするが、正座はしない。 

 媚びる(人の歓心を買う為に艶かしい態度をとる)と一般的はには云われて
ますが、これは「へつらい」といった相手に迎合したことの意味合いと「あさ
ましい」という軽蔑を含めた言葉でもあるのです。               .
 犬の上品、下品を問うこと自体、その犬の飼い主の品定めなのだと解って
いる人は口を謹みます。「犬は飼主に似たり。」とは良く言ったものです。 .
江戸時代から明治、大正、昭和初期の日本では、俗に言う良い家柄、上流
中流の家で飼われている犬は、それぞれのその家の家風に添った、其れら
 しき犬でなくてはならぬのです。こうした風習は恥の文化と云うのでしょうか。
その家の恥じぬ犬でなくてはならないゆえ、他人に特に目下の者に媚びる
犬は馬鹿な犬、品位の劣る犬とされていました。日本犬は他人になびかず
媚びず主人に忠実な特徴はこうした気風、環境からなのでしょうか。    .
厳しい家柄の犬は、主人に忠実でありその家を守ります。侵入者をけっして
許しません。極めて攻撃的でもあり頼もしい存在です。しかし、それでいて
人との犬のトラブル事故がないのです。それはその飼主の管理の良さと不
用意な断りもしないその家の訪れ犬への接近などを当時の人々はしない
のが礼儀と心得ていたからです。子供達も知らないお家へは入らない、犬
が威嚇の声を上げれば絶対に近づかぬ知恵を持ち合わせていたのです。

 そうした時代の庶民下町の犬達は雑種あるいは気のいい馬鹿と云われる
人畜無害な日本犬です。下町では何時の間にか住み着いた飼主不明な俗
に云う野良犬が市民権を得たのでしょうか子供達と遊んでいます。どこそこ
さん宅の飼犬も放し飼いで一緒に遊んでいます。そこへ怪しげなよそ者が
近づけば犬達はさっと警戒の姿勢を見せます。この集団を守ろうとする群
れの動物の一面を見せるのです。勿論危険を感じれば猛烈に威嚇し吠え
るのです。下町の野良犬は子供達を味方にして大人達から暗黙の居住権
を得て細々と暮しているのです。でも時々野犬狩の人がやって来ます。 .
子供達は犬殺しが来たと大騒ぎ、大人達も犬達を急ぎ逃がします。運悪く
捕らえられた犬は飼主がある犬なら飼い主が金銭的解決で放免となりま
 すが飼主のいない気のいい野良犬は助けられないのです。連れられて行く
悲しげな犬に悲鳴に近い子供達の声を聞きへつらうこともなくこれからの
運命を知ってか吠えることも無く静かに去り行く姿を思い出します。   .

  昭和19年の暮れ、ご近所の八木さん宅のポチ(当時珍しいゴールデン
リトリバー)が軍からの徴用で供出となりました。戦時下で戦局も厳しく
 なんとなく日本は大丈夫かなの心配の日々敵機の姿が見れる頃です。
ポチは兵隊さんの軍服になると聞かされ泣きました。男のくせに泣くの
は非国民だと言われ、それでも涙が止まらず裏庭に逃げ込むと、庭は
妙に月明かりで明るく小さな菖蒲の池が蒼く光って見えました。ここで
いつもポチが魚取りに行く私を待ち構えていました。邪魔な奴と思って
いたポチ、いつもお前と一緒の魚取り。 こんな淋しい思い出を平和な
現在では想像できるでしょうか。私の小学一年生の冬の話です。   .
  昭和20年6月この町戦災で焼かれ一匹の犬も居ない荒んだ所、荒
んだ時代へと移り行く敗戦を迎えるのです。               .
  敗戦からの日本の復興は早く、高度産業成長期を経て経済大国日本
 と言われるになりました。衣食足りて礼節を知ると昔の人は言いました。
 敗戦からの復興に伴い心にもゆとりが、優しさが、豊かさが帰り来て、
犬も町に見られるようになり子供達も野球や縄跳びで遊ぶ様子が見ら
れます。けれどそれも束の間、再び犬も子供達も楽しく遊ぶ姿は町で
は見られなくなりました。                          .
  豊かな日本は世界中から色々な犬達を集めました。自由で平等な日本
各家庭で飼われている犬達高価な愛玩犬、でも町で子供達と遊ぶ犬達
は見掛けません。皆と遊ぶ子供達も見掛けません。公園では幼い子が
母子連れが見られるだけで、元気良く跳びまわり遊ぶ餓鬼大将達は姿
を見せぬのです。犬を連れた人が通り行きます。紐付きで犬に引かれて
公園にはこうした大人達が連れた犬達が集まり交友をはかるようです
そうした公園に初めて犬を連れてお仲間に入れてもらうのは大変なこと
 公園デビューと言うそうです。まずは飼主の人柄がその集まりのリーダー
と取り巻きの幹部と思える人達に気に入られることと、それらの人達に
愛想の良い犬でなくては歓迎されません。お人柄も良く、お利口な犬で
あれば良いのです。でも、人柄は兎も角、お利口な犬はどのような犬?
どうやらちょとした芸みたいなこと「お手」とか「お座り」そして食事での
「まて!」が出来ればよいのです。それより誰にでも愛想の良いことが
第一なのです。しかし、この集まりの中心をなす人達の犬は決して人畜
無害なお利口な犬だとは限りません。どうやら群れの法則、社会的順位
「弱者は強者に席を譲る。」が働いているようです。少しぐらい(当人の言
い分、他人はおお迷惑でも)我侭でも古手幹部リーダー格なら許される
のです。それらの犬達も「お手。」「お座り。」が出来るし飼主のご機嫌を
損なうことはしません。犬とのトラブルが生じれば相手が悪いことにする
悪賢い犬なのです。飼主もまた、うちの犬は絶対悪くないそちらがこの
子に悪い事仕掛けたから反撃したのだと言い張ります。常にこうした .
庇護により犬は益々増長して権威を示そうとします。犬は後ろ盾があ
れば勢いづきます。飼主は知らずして横暴な犬にしているのです。 .

 ずるがしこい犬。

ずるい犬。

 飼主にとっては、お利口で愛らしい犬でもとんでもない二面性を持つ
悪賢くてずるい犬がいます。飼主が居る時はお利口に振るまうが、見
 てないと、他人やあるいは弱い立場の人や、その人に連れられている
 犬に対して攻撃的になり、威嚇したり時には噛み付くといった犬です。
こうした犬は「お愛想が良い。」「人見知りしない。」良い子の振りをし
 ていようが、それは媚びているのであって、へつらうことで意中は別に
あるのです。賢さはありますから当然「お手。」も「お座り。」も出来ま
 すが、お食事時の「待て。」は出来てもそれ以外では待てないのです。
食事時の待ては食事という、ご褒美が有るから待てるのです。こうした
犬は本当に飼主さんの指示に従って居ると云えないのです。それは
いつの間にか飼主の知らぬ間にあるいは間違った飼い方、不適切な
環境を与え犬が勝手に学習した結果がこうした二面性の悪癖の犬を
作ったと言えるのです。                           .

 それでは、本当に人の指示に従うお利口な犬とはどのような犬でしょ
うか。まず、しつけの専門家、犬の訓練士の犬への対応です。    .
 「お座り。」は警察犬訓練用語では「停座」といいます。指示する時は、
短節な言葉で「座れ!」です。この停座の訓練に先立ち紐付で脚側
行進(犬を左脚側に付けての歩行)を行います。これは、しつけにとっ
は大切な学習です。犬が人に合わせて人に従ってぴたりと寄り添い
アイコンタクトを取りながらの歩行は見ていてとても気持ちの良いもの
です。こうした訓練から「座れ!」と命じられた姿勢はへつらうお座り
の姿勢ではなく、凛々しくしっかり座る「停座」でなくてはならぬので
す。いわゆる「正座」をさせます。正座させる以上指示者も犬以上に
凛々しくしっかり命じなくては指導になりません。犬は言葉に従うので
はなく、指導者の意を汲み取って、指導者の感性に従い行動するの
です。犬には理屈は通じませんが指導者の情緒は敏感に感じ取りま
す。しつけ訓練により築かれた犬との親和は、指導者の意のままに
従うお利口な犬となるでしょう。                      .
 指導者の指示にしっかり従う訓練を服従訓練といいます。犬は基本
的に「人の嫌がることはしない、人の喜ぶことは率先して行う。」動物
です。したがって喜んで人の指示に従うはずなのです。なのに犬にあ
れこれ命じるのは可愛そうと甘やかし、悪いことをしても叱らず、放任
すれば人の命令に従わぬ様になるのは当然のことです。媚びてへつ
らうことを覚えて問題犬の予備軍となるのです。これらの犬達は悪い
学習から、強い者にはへつらい、弱い者を虐める犬となったのです。.

飼主自身が我が愛犬の異常に気付きその悪癖の原因を考えれば
きっと思い当たる事があります。一方、他人にその悪癖を指摘されて
媚びる、へつらい、悪賢さが何となく気付いてもその原因は解らぬ .
思い当たらぬのが通常のこうした犬の飼い主です。          .
可愛がるだけで、何もしつけをせず、「おすわり。」「お預け。」をしつけ
と勘違いして自由という放任の結果、犬は勝手に学習してしまいこん
な品位の無い犬となってしまつたのです。確かにこれらの犬は可愛
がられてはいたのですが、犬にとってその可愛がり様は本当にうれし
かったでしょうか?・・・・・・・・。                      .

 訓練士のしつけ訓練は、犬に対して厳しく真剣に対応します。きつく
命令もします。けれど犬との親和が築けなければ訓練は失敗といえ
ます。よって命令に従った時は即座に褒めます。褒め方も重要な訓
練技術なのです。犬は訓練士との訓練は大好きです。命令を期待し
て訓練士の挙動を見据えます。楽しさ一杯といったところでしょう。 .
こうした人に従う楽しさ、しつけを幼犬の頃して置けば媚びることなく
大切な愛犬、家族の一員となっていたでしょう。            .


問題犬のご相談が寄せられるたび         .
「犬は飼い主に似たり。」は然ることながら
        最近は「犬は世相に似たり。」と思います。
子供は世相を映す鏡といいます。犬もまた・・・・・・・・。

 おわり。


  追記、映画「犬と私の10の約束。」の感動的なお話から、あなたも、愛犬に10の約束を誓う前に
あなたの愛犬に3っつのお願いをしたら如何でしょうか。1、吠えるな 2、咬むな 3、暴れるな。
                     それを聞き届けてくれたなら、10の約束を守る愛犬家になlりましょう。




    富士山  34


                                

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